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elephant eye music blog(in Japan)

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2011年 07月 16日

Snake Bone Necklace

今回のネパール滞在は1年半でした。 向こうでは自分の想像以上にステージに立つ事が出来て、経験を積む事が出来ました。 ネパールに行く前に、「ステージに立ちたい」と思っていたので、願いは叶う物ですね。
何より、演奏する機会をくれた人達にお礼を言いたいです。
ありがとうございました。

さて、今回買ってきました、蛇の骨のネックレスです。
東ネパール産で現地ではシャーマンが身に付けているとの事。
この製作工程ですが、蛇の死後、家の屋根の上に1ヶ月程、放置→肉などが無くなり骨だけになった所で燻す。 なので、この色になっています。
何の蛇の骨かは分からないという事でした。

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# by eem_np | 2011-07-16 16:07 | snake bone necklace
2011年 07月 12日

melong / トクチャ

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melongと呼ばれるデザインです。 

このデザインですが、体の痛い部分、不調があるその部分にこすると、癒してくれるという物の様です(裏側には体にこすった様に素材が甘くなっています)。

素材ですが、"トクチャ"という、チベット語で天から降ってきた素材という意味で、実際、そう信じられています。
落雷の後に行ってみたら、トクチャが落ちていたとも言われています。

現地でこれを知っている人達に、「すごい精巧だね」と褒められていました(その後に体にこすりつけてましたが)。
後でupする、真ちゅうの物と比べて頂いてもわかるのですが、相当、精巧で、これ程良いコンデションの物はあまり無いと思います。

ネックレスのビーズですが、ネパールのオールドビーズです(留め具に使用しているビーズも同じです)。
紐はワックスコードを使用で丈夫に出来ています(たぶん、このネックレスは私が作りました)。
melongのサイズですが、約51mmの円形です。
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# by eem_np | 2011-07-12 00:28 | melong
2010年 05月 04日

india.

去年末から1月中旬まで滞在したブッダガヤの、今回は写真で綴るレポートです。

去年の8月にネパールの友達と別れる際に、「12月にネパールに戻っておいでよ。 インドへティーチングに一緒に行こう」と言ってくれたのを覚えていました。
今回、日本を出国するタイミングも、かなりその時期に合わせたのもありますが、ネパール到着翌日(ちなみにネパール到着日は自分の誕生日でした)に出発でした。
前日に朝まで飲んでいたのでしんどかったです。

まず、カトマンドゥ-バラナシまでフライト。 フライト時間40分程で到着。
バスだと1泊2日の道のりなのに、飛行機の速さを改めて痛感。
バラナシでは、サルナート(釈迦が初めて説法を説いた地と言われています)に4、5泊したのだと思います。
ガートの方にも出かけました。

そして、ブッダガヤへ車で移動。

宿泊先は、友達のコミュニティの建物の屋上でテント生活でした↓

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ライトが無いので、6時起床、9時就寝という、ものすごく健康的な生活でした。
周りはほとんどが畑。 夜が少し冷え込みますが、気持ちが良かったです。
アヒルもいました(もちろん、牛も)↓

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写真を撮る習慣が無く断片的ですいません...
ダライ・ラマティーチングの前に、カルマパのティーチングがあったのですが、その時の写真です。

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祈っている人の姿が美しかったです。

ラッキーにもダライ・ラマ、カルマパを近くで拝見出来たのですが、すごいパワーでした。
ダライ・ラマ、素敵なインドのクラシックカー(ガードの警官、SPなどは最新の車に乗っているのに何でだろう?)のフロントガラスにくっつきそうな位、前のめりになってにこやかに手を振りながら、御入退場でした。

そして、こんな場面も。

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ボダナートのマハバディの巡礼路です。

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ごみは最近、ネパールの状況も似ています。 何が出来るんだろう?

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ある日、写真を撮ったら、こんな写真になっていました。 雪も降っていないのに。

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# by eem_np | 2010-05-04 23:30 | eem
2010年 03月 26日

Tibet.

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のんびりし過ぎていましたが、本日、インターネット開通しました。
ネパール、相変わらず半日は電気が無いですが。

去年末から今年1月中旬まで、インドにいました。
カルマパ、ダライ・ラマのティーチングに連れて行ってもらいました。

ネパールは冬が終わったと思ったら、いきなりTシャツです。
ここは緯度が沖縄と同じなんですね。 
12年通って初めて気付きました。 ここ熱帯なんですね。

今日は、今の僕のルームメイトの事です。
彼とは上記のインドでのティーチングの場所、ブッダガヤで出逢いました。
彼はブッダガヤでチベットブレッド(チベットパン)を売ったり、ダライ・ラマ、ティーチングの時には、日に15,000個のチベットブレッドを12時間シフトで作っていました。 時に睡魔に襲われながら。

彼は、15歳(今、彼は、21歳です)の時に2ヶ月をかけて徒歩で、チベットからヒマラヤを越えてきました。 日中は危険な為、夜間のみを歩いて。
彼にはここに家族、親戚がいません。
彼には病弱な母が、チベットにいます。
彼は、自由です。 ポケットにお金が無くても、インドーネパールのどこにでも行けます。 パスポートもありません。
今、彼は友達のお店で働いています。
彼を含め、チベット人の友達はフィーリングが内側にあります。

僕は彼から沢山を知ります。
最近、よく思うのは、どの出逢いもお互いに何かを交換してるなーと思います。
それがお互いに望んでいる経験だから面白いです。

どの物事においても期待している事なんて、ほとんど無いですし、これを言わなければどれだけ楽だったかと思いますが、言います。

Tibet will be free.

日本人は過去に同じひどい事を中国にしたかもしれない。
でも、僕は前を見てます。
それに、こんな非人道的な事が継続出来るのかな?

本当に怖い事、それはマザー・テレサの言う様に、無関心である事、見て見ぬ振りをしてしまう事だと、ある日、気付きました。

僕のチベット人の友達の多くは、奥さんがネパール人です。
僕のチベット人の友達は、奥さんがニューヨークにいて、何十回もビザをアプライしています。

友達が困っているのに何もせずにいれるんだろうか?
それは、どうするんだろう?

# by eem_np | 2010-03-26 05:35 | eem
2009年 11月 14日

australia.

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13年位前の事ですが、タイ、インド、ネパール、ラオス、ベトナム、カンボジア、マレーシア、インドネシアを旅して、オーストラリアに行きました。
日本で仲良くしていた友人がオーストラリアに留学し、逢いに行こうと思ったのと、出来たらオーストラリアでお金を稼げたらいいなとその時、思ったのだと思います。

初めての先進国はとても緊張をしました。 
ブリスベン空港に着いて、空港の外でタバコを吸いながら、広々とした風景と青い空、大きなトレーラーが道を走っていたのが、アジアと全然違う国に着たんだなーと思いました。

所持金はたしか$400位だったと思います。 心細かったです。
まず、ブリスベンの街で仕事を探したんですが、見つからず、金銭的に遠くへは移動が出来ないので、ブリスベン近郊の農場の仕事を探しました。
しかし、タイミングが悪く、どの農場もオフシーズンでした。

そうこうしている内に所持金もだいぶ減ってきました。 本格的なピンチです。
まあ、大体、所持金$400でオーストラリアに来る所が無謀ですが。
当時、22~23歳位で海外でこんな切羽詰る経験をしたかったんだと思います。
今、そう考えると願いが叶っていますね。

仕事の見つからない、切羽詰った当時の僕はギターを旅に持ってきていました。
夜のカジノの前で、歌う事を始めます。
最初は一日何とか生活できる位のお金を貰えていました。 しかしだんだん上手くなってくると少しづつ多く貰える様になっていきました。
切羽詰ると上達のスピードが違います。

歌っている時にもいろんな事がありました。 僕がよく歌っていたのは楽器演奏に許可のいる場所だったので、警官、警備員によく怒られたり、僕はオーストラリアでアジア人差別を受けた事が何度かあるんですが、酔った人に「go home jap!」と絡まれたり、
沖縄から軍事演習で来たアメリカ人のおじさんに、沢山、お金を貰ったり、昼間、友達と歩いていたら、「昨夜、良かったよ」と褒めてくれる人がいたり。
ありがたい経験でした。

バスキングと平行で仕事を探していたんですが、農場での仕事をやっと見つける事が出来ました。
キュウリ、赤、黄色、緑のカプシコン(パプリカって言うんですか? 大きいピーマンです)、ワイン用のグレープなどを収穫させて貰いました。
しかし、しんどかった。 みんな、来てすぐ辞めてしまうのですが、僕は1ヶ月位いたんだと思います。
そこでも、僕は大事なメッセージを一緒に働いていたイスラエル人から受け取る事になります。
そのイスラエル人の友達はルームメイトで仕事のパートナーでした。 
農場で彼も僕も、問題なく普通に働いていたと思うのですが、なぜか僕達の所だけ農場で嫌がらせを受けていました。
そんな事があり、イスラエル人の友達は怒って、その街を出て行きました。
彼は僕に「どんなにお金が無くても自分のプライドだけは売っちゃダメなんだ」と言って。
僕はその次の日にその農場を辞めます。 はっきりと理由を言って。
泊まっていた宿が仕事を斡旋してくれていて、他の農場で働き始めていたのですが、何日かして、宿の人が「前の農場の人が謝ってる」と伝えてくれました。

仕事は大変でしたが、宿ではみんな大変だから、すごく仲良くなったり、ケアをしたり、お金が無くても十分に楽しんだりしていました。 
宿の人達も僕達を理解してくれて、暖かい人達でした。
じつはその後、ある出来事が起きますが、宿のオーナーは僕を守ってくました。
本当にありがとうございました。

農場で働いたお金で僕はバリ島へ戻る事にしました。
オーストラリアを出る時にブリスベン空港で、遠くにブリスベンの街が見えました。
(じつはこの日、飛行機を寝過ごしフライトの時間に起床、とりあえず空港に行くと自分の乗ろうとしていた飛行機がディレイでまだ飛んでませんでした。 奇跡! なのでこの時まで心の余裕はありませんでした)

あそこが宿の辺り。 あそこを友達と歩いたなーとか、あそこの店に仕事ないか聞きにいったっけとか、あそこでバスキングしたり...など。
いろんな事が一気に込み上げてきて、涙がどんどん出てきました。

この後のバリでは、僕が始めて雑貨を輸入する大きなきっかけになる出逢いがありました。 これはまたの機会に。

まだ、農場で働いた時の給料チェックが僕がオーストラリアを出るまでに換金出来ず持っています。 またいずれ機会があったら是非、行ってみたいです。
宿の人もお礼を言いたいですね。
すべての出来事に感謝です。 自分が呼んだり、起こした出来事だったなと思います。

# by eem_np | 2009-11-14 23:14 | eem